40周年記念講演


2015年3月21日にご逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。

 

目次
 1.はじめに
 2.日本臨床電子顕微鏡学会の発足と歴史的背景
   病気の形態学研究を通じて医学の発展に貢献する事が学会の原点
 3.試練の時代へ
   その歴史的背景
 4.試練に立ち向かう
  1)体制を立て直す努力
    downsizing、経費削減、財政立て直し、開かれた学会運営
  2)学会の魅力を作る努力
    英文誌の強化、研究部会の設立など
    J Clin EMからMed Mol Morphol(MMM)へ
  3)会員の裾野を広げる努力
    学会名称の変更、関連学会との連携など
 5.学会の今と、これから
    ひとの病気の分子形態学研究の重要性
    学会はImpact FactorがついたMMMを持った。MMMが評価を得た理由


1.はじめに
 学会の40年を振り返り、特に最近10年の近代史を総括して、学会の現在と将来を考えて見たいと思います。まず最初に、この学会を作り育てて下さった多くの先達の努力と情熱に、心から敬意を表します。今回学会の歴史を紐解いて、学会を育てるのは学会への強い愛情と・困難に出会った時にそれを乗り越える不屈の精神である事を学びました。また学会を支援して頂いているキッセイ薬品工業を始め、賛助会員の皆様にも御礼を申し上げます。多くの方々に支えられて学会がある事を再認識し、会員の皆様と共に感謝致します。

2、臨床電子顕微鏡学会の発足と隆盛
 日本臨床電子顕微鏡(以下臨床電顕)学会が発足したのは、学会のロゴにある1968年です。当時の電顕は・細胞や組織の機能を微細構造から読み取る事が出来る最先端の研究技術でした。細胞学や生物学の分野で大きな成果を上げ、アメリカではJBBCから・電顕主体のJ Cell Biologyが独立した頃です。その中で、電顕を臨床医学に応用すると言う学会は、安澄権八郎初代理事長の巻頭言1)によれば、本学会が世界に先駆けたものでした。電顕は時代の寵児でした。1965年に発行された岩波新書「電子顕微鏡の世界」2)に、京都大学の東昇教授は「今日の化学者、生化学者は、電顕の挙げる成果から目をそらす事が許されない」と興奮して書いておられます。私はその少し前に札幌医大の病理学教室に入りましたが、教室のテ~マは肝臓の電顕的研究でした。小野江為則教授の、生化学的データーに裏付けられた微細構造の研究は、臨床志向のインターン生であった私を東京から引き戻す程の魅力でした。本学会創設の年、小野江教授は病理学会の宿題報告を担当しましたが、演題は肝臓の超微構造病理学3)でした。その小野江先生は退官記念の業績集4)で「1960年当時の電顕の躍進は、1980年代の免疫学に匹敵した」と述べておられます。このような電顕の成長期に、電顕を臨床医学に応用する事を目的にした本学会は広く臨床、基礎医学の研究者に浸透し、婦人科電顕同好会を母体に900人程で発足した学会は僅か10年で2,000人近い学会に急成長しました。ここで学会が、電顕を病気の本態の解明に応用し医学の発展に貢献する事5)を目的にしたのは先見の明であったと思われます。

3.試練の時代へ
 20世紀最大の発見と言われるWatsonとClickのDNAの二重らせん構造が、Science誌に発表されたのが1953年、ノーベル賞が1962年6)ですから、学会が発足した頃、すでに分子生物学の波が起きていた事になります。その波はやがて大きなうねりとなり、最新の研究手法だった電顕も試練の時を迎えます。それは電顕に限らず科学技術一般に言える事ですが、科学の進歩はエスカレーターのようになだらかに進むのではなく、階段状に、時に何段も飛び越えて一足飛びに進みます。現役を退いた私が申し上げるのは失礼ですが、MMMの編集者として皆様の論文を読ませて頂くと、多くの疾患が今や、機能分子の相互色作用の変化によって理解されようとしています7)。時代の変化と共に、電顕を主な研究手段とする研究者は減少し、会員数は1991(平成3)年をピークに減少に転じました。
 この学会の特徴の一つは、臨床・基礎を問わず色々な分野の皆様が自由に、病気についてdiscuss出来ると言う講座横断的な学際性です。この自由な雰囲気は学会が大切に守るべき財産の1つでありますが、他方講座の縛りがない事は、会員の確保が難しいと言う諸刃の刃にもなります。つまり学際的な学会は、常に学会の魅力を育てる努力をする必要があるのです。

4.試練に立ち向かう
 こうして学会は試練の時期を迎えましたが、苦しい時にどう対応するかが問題です。どこかの総理大臣みたいに放り出すと言う選択枠もあった筈ですが、私たちの学会は試練に立ち向かう道を選びました。試練を乗り切るには学会の体制を改める必要があります。学会活動のdownsizingや経費削減に努め、学会財政の立て直しを進めました。これは和文誌の廃止や、掲載料と役員の会費の値上げなどの痛みを伴いましたが、会員の皆様のご理解に支えられ、学会の体力は回復しつつあります。しかし耐えているだけでは学会は再生しません。学会の再生には、学会の魅力となる柱を築く事が大切です。学際的な本学会には特に太い柱が必要です。学会は英文誌を充実させて学会の柱にする方針を取りました。

5.英文誌の誕生と強化のあゆみ(表1)
 学会の機関誌は1969年、B5版の和文誌臨床電顕学会誌(年2冊)でスタートしました。翌年から学術講演会が開かれ、抄録集を加えて年3冊になりましたが、和文誌だけです。1985年になってこれが年5冊になり、和文号と英文号が年2冊ずつになりました。その英文号が「J Ciin Electron Microscopy」と命名された英文誌のプロトタイプです。しかし図書館では和文誌に扱われています。
 1993年に、この英文号を独立させて「Medical Electron Microscopy(MEM)」と言うA4版の大判にし、年4冊発行する事になりました。これが本学会における英文誌です。我々の学会に英文誌が誕生したのは僅か15年前の事なのです。しかし原稿が集まりません。単純に計算しても小さなサイズの年2冊の英文号を、大きな英文誌4冊にするには、英文論文が3倍は必要になります。黒住一昌先生が英文誌の編集を担当され、論文集めに大変苦労をしておられました。出版費用も当然膨脹し、掲載料は一時期1ページ3万円でした。
 しかしそんな中でも学会は、1996年にはMEMの発行を学会センターからSpringerに移して国際化を図ると言う、思い切った強化策を打ち出したのです。後でも申し上げますようにSpringerからは当然厳しい条件が出されましたが、学会はSpringerとの契約に踏み切りました。当時の黒住先生の巻頭言8)を読むと会員確保のための必死の努力である。と書いておられます。それ程学会の見通しが厳しくなっていたとも言えます。同じ頃学会25周年記念講演9)で、滝一郎理事長も英文誌の改革と表現され将来への大きな期待を託してSpringerと契約した事を記しておられます。これは実に大きな決断で、歴史的に振り返ると、この学会の分岐点だったと言えます。学会が厳しくなった時に、困難を覚悟の上で、将来のために改革に挑戦したのですから。
 会員の皆様の強力なご支持のお陰で、MMMはその後成長を続ける事が出来ました。MMMが今、国際的に評価されて学会の柱に成長した事を考えると、この決断が学会を救ったと言っても過言ではないと思います。出版社の選択も適切でMEMが2000年lndex Medicusに収録され、世界中から検索されるジャーナルに成長したのはSpringerの協力のお陰です。

6.研究部会
 英文誌以外にも、学会は魅力を作る努力を始めました。平成18年、この学会の特徴である講座横断的な研究者を、横糸で結んで研究活動を活性化するため、研究部会を立ち上げました。まだ発足3年目で芽が出始めた所ですが、学術集会にもその成果の一部が発表されており、学会の新しい柱に成長し得るpotentia1を持つものと期待されます。この芽を今後育てるには、豊かな愛情と、成熟させるための試行錯誤を含めた一定の時間が必要と思われます。

7.臨床電顕学会から臨床分子形態学会へ
 ここで学会名称の変更についてお話し致します。学会名称は、今お話しした英文誌の国際化とも深く関連しているからです。編集を仰せつかった私にとって、年間240ページ分の論文原稿を集める事が至上命題でした。しかし電顕の論文だけで契約を守れない事は明らかです。電顕の他にもレーザー顕微鏡、immunohistochemistryなどの広い範囲の形態学の論文に枠を広げて、論文を確保すると言うのが唯一の選択肢だった訳です。一方で会員数の減少に歯止めを掛けるためにも、電顕以外の研究者が参加出来る学会名に変更して、会員の裾野を広げようと言う声が強まって来ました。長期計画委員会からは、学会名から電子を取ると言う提案が繰り返し出されました。すでに日本電顕学会は、電子を取って日本顕微鏡学会に学会名を変更していました。
 しかし電子を取れば良いと言う程簡単な話ではありません。学会は平成13年と16年に会員の皆様にアンケート調査を行い、学会名称の変更について意見聴取を行いました。結果として80%以上の方が学会名の変更を容認されたので、これを基に学会名についての皆様のご意見を伺い、名称変更を考える小委員会を設置して検討を重ね、日本臨床分子形態学会と言う名称がまとまった次第です。学会名称の変更を、平成16(2004)年11月の熊本での評議員会と総会に提案し、審議の結果、可決承認されました。学会名称の変更に伴い、ジャーナル名もMEMからMMMに変更されました。本学会の設立の趣旨である電顕による病態の解明を通じて医学の発展に貢献すると言う理念は、方法論を拡大し、電顕を含む分子レベルでの形態学的解析を通じて医学の発展に貢献する形で、引き継ぐ事が出来たと考えております。
 名称変更の評価は歴史の審判に委ねますが、名称変更後、会員の減少に、若干ながら鈍化の傾向を認める事と、MMMがすぐScience Citation Index Expandedに収録され、昨年からImpact Factorが獲得出来た事などから、それなりの成果があったのではないかと総括し、皆様のご理解とご協力に感謝申し上げる次第です。

8.関連学会との連携
 もう1つ学会活性化のために、当時の長期計画委員会の提案で進めたのが関連学会との連携強化です。これは電顕学会(今の日本顕微鏡学会)との理事の相互乗り入れ、シンポジウムの相互乗り入れに始まって、日本組織細胞化学会とは昨年で2度目、4年に1度の合同学会開催に迄漕ぎ着けました10)11)。本学会は技術開発を本務とは致しておりませんので、技術開発を視野に入れているこれらの学会との交流は、会員の皆様に新しい技術情報を提供したいと言うのが趣旨でありますが、歴史も家柄も違う学会が、壁を乗り越えて共通の目的を達成するには、まだ多くの課題を残しているのが現状です。
 そろそろ時間が詰まって来ましたので詳しくは述べませんが、この10年間は、特に学会にとって厳しい時代でした。だからこそ会員の皆様のご意向に沿った、開かれた学会運営を心掛けたつもりです。具体的には評議員の皆様による理事の直接選挙の実施や、和文誌に代わるmailでの会報による会員の皆様との双方向性コミュニケーションの確立などです。

9.学会の今とこれから
 学会は現在、創立時とほぼ同じサイズになりましたが、皆様のご協力のお陰で、基礎体力が随分回復致しました。また学会がこの15年を費やして学会の柱に育てて来たMMMは、2007年のImpact Factorが1点を越えました。これは一人前のジャーナルとして世界に認められた事を意味します。MMMの話しをすると手前味噌のようですが全く違います。ジャーナルの評価は、裏表紙によってではなく、掲載されている論文の中身で決まるからです。
 MMMに掲載されている論文の多くは、この学術講演会で発表された演題です。reviewの多くも、前年のシンポジウムなどで発表されたものです。つまり、この学会の皆様の活動そのものが、世界的に注目され高く評価されているのです。皆様はこの事にもっと自信と誇りを持って頂きたい。そして皆さんのMMMを、学会の柱としてさらに丈夫に太く育て、学会を盛り立てて頂きたいのです。学会の先達が厳しい状況の中で、あえて困難な国際化に挑戦した成果が、皆様が優れた論文を書いて下さったお陰で、今やっと実ったのです。
 MMMを軸とした学会の今後の発展に期待したいと思います。例えば、ここにおられる皆様がMMMと、MMMを機関誌に持つ臨床分子形態学会をお仲間に宣伝し、1人ずつ会員を増やして頂けば、学会は安定しMMMを維持し発展させられる事になります。学会を再び2000人規模になどと言う妄想ではありません。学会活動を継続させるには会員を増やす必要があり、MMMが評価を得た今がそのチャンスだと言う事です。
 たかがImpact Factor 1.338で何がチャンスだと言う方もおありでしょう。しかしMMMの評価はさらに上がると予測されます。MMM40巻2号はSpringerLinkのopen choiceと言うショーウインドに飾られ、僅か2ケ月の展示で、ここに上げた2つの論文だけでも460と言う高いダウンロード数を記録しました。これは過去5年間のMMMのダウンロード数です(図1)。今日お見せしたスライドで初めての右肩上がりのグラフです。これが来年、再来年のImpact Factorに反映されるのです。
 遺伝子の時代と言われますが、遺伝子の変異と病気の間を結びつけるのが病気の分子形態学です。遺伝子の研究者は病気の情報を求めています。皆様の論文を掲載したMMMは世界中で検索され、多くの研究者に病気の情報を提供しimpactを与えています。ぜひ会員を増やして、この学会が世界の病気の形態学研究の中心になるよう、皆様のおカで育てて下さる事を期待して、40年のまとめと致します。

参考文献:
1)安澄権八郎:日本臨床電子顕微鏡学会の発足に際して。臨床電顕誌、1:27,1969
2)東昇:電子顕微鏡の世界。岩波書店、1965
3)小野江為則:肝臓の超微構造病理学。日本病理学会誌、57:3,1968
4)小野江為則:退職記念業績集「研究と業績」,1982
5)日本臨床電顕学会設立趣意書。臨床電顕誌・1:23,1969
6)ワトソン:二重らせん。江上、中村訳、タイムライフ社、1968
7)Nishida M.eta1.:Pathophysiological significance of adiponectin.
Med Mol Morphol 40:55,2007
8)黒住一昌:巻頭言。臨床電顕誌、29:1,1996
9)滝一郎:第25回日本臨床電子顕微鏡学会記念講演。臨床電顕誌、27:7,1994
10)第35回日本臨床電顕学会・組織細胞化学会・合同学術集会予稿集、2003,東京.
11)第39回日本臨床分子形態学会・組織細胞化学会・合同学術集会予稿集、2007,甲府.