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「理事長講演」 記録

第51回日本臨床分子形態学会総会・学術集会
令和元年9月20日久留米シティプラザ第1会場
13時20分〜13時50分

熊本大学大学院生命科学研究部産婦人科学
片渕 秀隆

 

第51回日本臨床分子形態学会総会・学術講演会 理事長講演 2019年9月20日(金) 13:20~13:40(30分)
 
形態学に再結集した令き和やかな次の半世紀へ
熊本大学大学院生命科学研究部産科婦人科学講座 片渕秀隆
 
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 座長の労をおとり頂いています鳥村拓司会長には、理事長講演という機会を頂き、心から感謝しております。私ごとですが、1974年に久留米大学附設高等学校を卒業しましたので、ここ久留米の地、そして母校の母体である久留米大学の教室が主宰されるこの学会でお話しできますことは最高の栄誉であり、会員の皆様にお礼申し上げます。
熟考の末、「形態学に再結集した令き和やかな次の半世紀へ」のタイトルを用意させて頂きました。
 
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 この顕微鏡は、1984年、病理学教室の門を叩いた時に購入したオリンパス社のBH-2です。大学院生として殆ど収入のなかった時、同じ産婦人科医の妻が貯金から35万円を出して買ってくれたもので、3年前の熊本地震でも破損することなく、36年間、私の机を占拠し、今も毎日の検鏡の時間を提供してくれています。
 今日の医学の世界を発展させてきた光学顕微鏡は、16世紀末、オランダのヤンセン親子が2枚の凸レンズを組み合わせたのが最初と伝えらえています。その後、3百年の時間を経て、19世紀末に、ドイツのカール・ツァイス が現在の光学顕微鏡へと発展させました。19世紀には、ヘマトキシリンによる核染色、エオジンとの重染色の考案、パラフィン包埋法の創出、ミクロトームの開発と薄切標本の作成、ホルマリン液固定が生み出され、組織診断技術が確立するに至ります。時を同じくして、オーストリア、ドイツでそれぞれ最初の病理学専任の教授職に就いたカール・ロキタンスキーとルドルフ・ウイルヒョウのふたりによって病理解剖学が系統化されました。
 そして、全ての外科学の領域の中で初めて、生検診断が、ドイツのカール・ルージとヨハン・ベイトによって子宮頸癌と体癌において導入され、外科病理学の夜明けを迎えました。
 
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 基礎研究を始めて私が最初に使用した透過型電子顕微鏡 HITACHI H-300です。1927年、ドイツのハンス・ブッシュは磁場の電子線に対するレンズ作用を実験で証明し、1931年には同じドイツのベルリン工科大学のマックス・クノールとエルンスト・ルスカが最初の透過型電子顕微鏡を開発し、ルスカはさらにその性能を高め、1986年にノーベル物理学賞を受賞しています。その7年後、走査型電子顕微鏡が、マンフレート・フォン・アルデンヌによって製作されています。
 一方、本邦では、大阪大学の菅田栄治が、1940年に国産第一号、倍率一万倍の電子顕微鏡を完成させ、その前年には、東京帝国大学の瀬藤象二が国産化のために学術振興会第37小委員会として電子顕微鏡小委員会を発足させ、1949年には日本電子顕微鏡学会の設立に至っています。
 
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 医学研究でも基本となる形態学の長い歴史の中で、昨年、日本臨床分子形態学会は、記念すべき50周年を迎え、第4代向坂彰太郎理事長の下で、記念誌が上梓され、私たちはこの貴重な記録によって、この学会のこれまでの足跡を辿ることが出来ます。向坂理事長の緒言です。
 本学会が創設された過程については、初代理事長の安澄権八郎先生をはじめとした創設メンバーによる「日本臨床電子顕微鏡学会創設趣意書」、設立20周年を記念した第2代理事長の滝 一郎先生による「日本臨床電子顕微鏡学会20年の歩み」、第3代理事長の森 道夫先生による40周年記念講演の中につぶさに述べられている。
 
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 昭和43年、1968年、7月に出された設立趣意書です。抜粋します。
 今まで主に基礎医学の進歩発展に寄与した電子顕微鏡は、臨床医学においても欠くことの出来ない貴重な利器となりつつあります。しかし臨床面では、この方面の研究者の学問的な連繫はいまだ無く、お互いが十分に知見を交換し合う場や、組織をもたない現状にあります。臨床領域においても早急に電子顕微鏡に関する同好会乃至学会を設置する必要性は明白であります。
 そして、設立の目的は、電子顕微鏡によって臨床医学の諸問題を解明して医学の発展に貢献すること、と記されています。
 
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 初代、安澄権八郎理事長は、学会発足に際し、至極円滑に設立されたのは、1965年に発足した胎盤の観察を中心とした産婦人科電子顕微鏡同好会を母体として生まれたからであり、さらに汎く臨床医学各科と基礎医学の同学の士が結集し、と「結集」という一文字を使われ、続いて、組織学的に臨床医学の向上の機会が得られたことは喜ばしいと述べておられます。
そして、最後に、臨床医学的応用研究においては、基礎医学的知見を基盤として、幅広く応用せんとする傾向がつよく、本学会においては、主として広い分野に亘って多数の同学の士が気やすく、謙虚に検討して知見の交換をはかり、臨床医学への応用において、独特の性格を発揮し、また相当の独創的な考えと技術の発展も期待できる、との独自性が強調されています。
 
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 天才漫画家 手塚治虫は安澄教授の弟子でした。
 1961年、手塚は、奈良県立医科大学の安澄教授の指導で、「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」のテーマで医学博士号を取得しています。この研究は、タニシの異型精子の先端を拡大し、各パーツの働きを電子顕微鏡で観察したものです。因みに、この年に東京手塚動画プロダクション、後の虫プロダクションを設立していますので、そのバイタリティーや驚きです。
 手塚は1945年に大阪帝国大学附属医学専門部に入学し、翌年には漫画家としてプロデビューしています。医学部の授業は階段式講堂の一番後ろで、講義を聴きながら漫画を描いていたことが、手塚の一生を描いた『がちゃぼい一代記』の中に出てきます。そして、この中に登場する教授のモデルが安澄教授その人です。
 
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 第2代、滝 一郎理事長は、本学会の発展する姿を、20年の歩みとして克明に述べておられます。
 結成当初の会員数は827名で、1985年には2,600名を越え、ピークに達しています。学術講演会は、毎年度1回、おおむね9月に行われるのが慣例で、一般演題は、第14回では300題にものぼっています。
 学会賞の授与は、第1回学会から始まり、第6回学会からは、内規により受賞者が選出され、受賞者は研究成果について講演を行う現在のかたちが導入されています。そして、第14学会から、学会賞が奨励賞と安澄賞に分けられています。
一方、日本臨床電子顕微鏡学会誌、Japanese Journal of Clinical Electron Microscopy (JJCEM) は発足の翌年には発刊され、1972年に初めて英文が採用され、学会特集号であるProceedingも開始となりました。1973年には学会誌の英文名よりJapaneseを削除することが決定され、1984年より、 第1・4号が英文論文の収録となっています。
 
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 滝教授は、粋と多芸多才の方でした。
 1941年に大阪帝国大学医学部を卒業後は母校の病理学副手となり、 翌年には、海軍軍医中尉として戦艦長門の軍医を務め、 1943年には海軍軍医大尉としてマーシャル群島のミレー島に駐屯、生き残り、復員されています。
1952年には病理学講師に昇進されましたが、1956年には産科婦人科学に移籍し、1968年に九州大学医学部婦人科産科学教授に就任されています。
長唄が特に気に入った趣味で、幼馴染の長唄三味線奏者の杵屋勝禄師匠に稽古をつけてもらい、定期的に発表会で歌っておられました。手を動かすことが好きでプラモデルなどの模型製作、模型時代が過ぎると野生花木の水彩画で、私にも画集をご恵与頂きました。また、85歳で、形態と機能の相関性・一体性を実証した『婦人科腫瘍の臨床病理』を出版されているのは驚異です。
 
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 第3代、森 道夫理事長は、福岡市での第40回学術講演会の40周年特別記念講演の中で、その後の本学会の試練の時を乗り越えていく大改革の経緯、すなわち、活動のdownsizingと経費削減による財政の立て直しを進められた姿が述べられています。
 その中で特筆すべきは、英文誌の誕生と学会名称の変更の2つです。1993年に英文号を独立させ、Medical Electron Microscopy (MEM)のA4版にし、年4冊を発行とし、その後発行をSpringerに移し国際化を図った結果、2000年にはIndex Medicusに収録されるに至りました。一方、電子顕微鏡の他にもレーザー顕微鏡や免疫組織化学などの広い範囲の形態学の論文に枠を広げ、英文誌を確保するために、2004年に学会名称を日本臨床分子形態学会へ変更し、英文誌の名称もMedical Molecular Morphology (MMM:3M)に変更となりました。
 
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 野球とビールを愛した森教授でした。
 1961年に札幌医科大学を卒業後、内科医を目指してインターンをしていた時の抄読会で小器官病理学に啓発され、Uターンして母校の病理学で研究を開始、電子顕微鏡病理学に熱中されました。
 1974年にAlbert Einstein医科大学に留学、ライソソームのダイナミズムやゴルジ装置の細胞生物学、組織化学による細胞小器官の可視化等を学ばれ、帰国後は細細骨格の機能病理学に守備範囲を広げ、1982年に教授に就任されています。
  野球とビールをこよなく愛し、1999年、65歳での森投手引退試合でも球の速さは衰えていなかったのは伝説です。
 

スライド 12  4人の偉大な先人の導きによって、この学会は、次の半世紀を迎えました。
 会則 第4条、事業には、

  1. 学術集会を適時開催する。第2項 英文学会機関誌 Medical 
Molecular Morphologyを発行する。という2つの事業が述べられ、第3項には、その他目的達成に必要な事業を行い、会員相互の連繋及び知見の交換をはかる、と記され、これは発足趣意書の理念そのままです。
 
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 2つの事業の中の学術集会の開催は、1969年の安澄教授主宰の第1回目を皮切りに、今年の鳥村教授主催の第51回まで連綿と続いています。担当領域は、臨床が34回、基礎が17回で2対1の割合です。
 
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 学会誌は、滝、森両前理事長が述懐されていたように、姿かたちを変え、現在のMEM誌はインパクト・ファクターを獲得するまでに成長し、この間、Online FirstやEditorial Managerの導入など、変貌する電子社会に即して対応してきました。
 
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 1972年、学術集会で発表した演題を英文抄録集としてまとめるProceedingの発刊は、当時の日本の医学研究の世界では極めて斬新で、私自身、刊行が終了する2001年まで、全て電顕写真を掲載した10編を作成し、留学経験もなかった若い臨床医にとって高いハードルである英文論文の執筆の機会が与えられたことは好運でした。
 
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 さらに、2冊のモノグラフが、2002年に森教授が、2011年には大野伸一教授が発行委員長を務められ、上梓されています。
 
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会則 第5条、会員 種別及び資格には、正会員、賛助会員、そして名誉会員ならびに功労会員の規定が記され、外国人留学生の資格継続の規定も設けられています。
 
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 滝理事長が先に記された昭和の会員数の推移に続く平成の30年間は、1985年のピークから漸減傾向にあり、今年8月末現在 508名です。
 
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 年代別、部門別の会員数です。
 1950年代をピークに、ピラミッド型の分布で、因みに私も小路武彦副理事長も1955年生まれです。男女比は、7対3です。
 臨床と基礎の内訳は、臨床がやや多いもののほぼ1対1です。
 臨床は、内科、産婦人科、外科、皮膚科、脳外科の順に多く、基礎は、病理、解剖、細胞生物学、電顕技術科の順です。
 
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 さて、最も私が今回おみせしたかった学術集会の参加者数と演題数の推移です。
 黄色は総演題数で、過去10年間90~120でほぼ一定している中で、注目すべきは青の一般演題です。棒グラフで示す参加者数はこの4年間で漸減していますが、一般演題の減少傾向はなく、むしろ増加傾向にあります。
 
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 今回は昨年に比べ一般演題数が20題増えており、鳥村会長のご尽力にお礼申し上げますとともに、ここに挙げましたトップ5施設、トップ5講座には本学会へのご貢献に感謝致します。
 
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 会則 第15条、理事長、副理事長および理事の職務です。
 理事長の職務を補佐する副理事長は2年前に新たに設けられ、昨年より小路教授にお願いしています。
 理事会に庶務、財務、編集、学術、広報、長期計画のための委員会を
常置し、担当常任理事各1名が委員長として委員会を総括し、必要に応じて副委員長1名を置くことができます。
 昨年、私が理事長に就任すると同時に、事務運営を円滑に進めるために、幹事長1名と各委員会に幹事1名ずつを置くことを決定しましたが、これは本学会の運営を担う次世代の育成の意味もあります。初代幹事長を本原剛志講師が担っています。尚、昨年の総会において、監事を除く全ての役員の定年は65歳と定められました。
 
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 現在、理事23名で、臨床13名、基礎10名、監事2名、幹事が7名です。
 6つの委員会の構成と活動をご紹介致します。
 
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庶務委員会の委員長は小林道也教授、副委員長 田代浩徳教授、幹事は並川 努講師です。
委員会は、学会会則および内規を整理・改正し、これに則って学会運営を円滑に進めていきます。
 
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 本委員会は主な3つの職務を担っています。過去1年間は解決すべき案件が山積した状況で、会則・役員選出規定・内規の改正、他学会の後援、協賛、共催に関する内規作成、外国人会員推薦に関する申し送り事項作成、弔事における申し送り事項作成、会費徴収方法など、これまで明確な規定がなかった点や改める時機を逸していた点について踏み込んでご対応頂きました。
 
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 財務委員会は、委員長が原田 大教授、副委員長 永田浩一副所長、幹事が本間雄一助教です。
 2014年に、名称が会計委員会から変更されました。
 
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  本委員会は、向坂前理事長の下、緊縮財政と予算・決算の効率化を図った結果、現在は、会員年会費、機関誌刊行収入、創設時からの継続且つ一貫した本学会の学術活動へのキッセイ薬品(株)からの支援、前年度の繰越金を併せて約3,000万円の収入と約1,000万円の支出で運営しています。その他、本学会の財産として、入会金1,000円の蓄積による約700
万円の基本金会計があります。
総会・学術講演会の担当施設への補助として、基礎系には150万円、臨床系には100万円の補助を行っています。
その他、以下5から9の項目にあげる問題に対し検討を重ねて頂いています。
 
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学術委員会は、委員長が齋藤 豪教授、副委員長 鳥村教授、幹事は真里谷 奨助教です。
本分である分子形態学を基盤とした「臨床医学」と「基礎医学」の架け橋となるように、分野に囚われず広く学術活動を奨励・推進しています。
 
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 学会賞には、現在安澄記念賞と奨励賞の2つがあり、後者の募集条件は49歳以下で会員歴が5年以上となっています。
 
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 さらに、論文賞、2017年からはHigh Citation Award、そして2015年からは学術集会最優秀演題賞ならびに優秀演題賞が新たに設定されました。
 最近の傾向として、学会賞では、しばらくなかった女性会員の受賞があり、またHigh Citation Awardや優秀演題賞は、今回のプログラム集にも紹介されていますように、これも女性の受賞が目立ち、学会として大変喜ばしいことです。
 
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 編集委員会は、委員長が千田隆夫教授、副委員長 森谷卓也教授、幹事は山本直樹准教授です。
 重要な3M誌の定期刊行を担い、現在11人によるEditorial Boardを構成しています。
 
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 3M誌は、2020年より掲載料無料化を予定しています。学会にとって素晴らしいことは、投稿論文数が年々増加し、アクセプト率は38%です。また、論文受理からアクセプトまでの平均日数は78日で迅速化を図っています。
 
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 委員会が示している今後の3つの課題と促進策です。
 投稿論文数の増加に伴い、査読依頼が断わられることが多く、特定の査読者に依頼が集中しています。会則では、本会理事・監事・評議員は査読の依頼を受ける義務がありますので、査読を受けて頂きますようこの場でもお願い致します。
 先日、2018年のインパクト・ファクターが1.383と発表されました。さらに上げる方策として、掲載された自分の論文を2年以内に積極的に引用するセルフ・サイテーションを積極的に行うことで、本学会では特に6%と低いことがSpringerから指摘されています。また、3M誌の論文を年に1回引用するだけで5に上昇します。また、総説は原著や症例報告よりも頻繁に引用され、 インパクト・ファクターの向上に貢献します。
 アクセプトまでの日数が短いので、学位論文の投稿先に最適です。投稿前に会員になれば迅速な審査が保証されます。
 
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 広報委員会は、委員長が矢野博久教授、副委員長 梶原 健教授、幹事は内藤嘉紀講師です。
 ホームページを通した広報活動、会報に掲載する記事の執筆依頼、会報の作成、そしてメールによる会報の配信などを行っています。
 
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委員会がこの1年力点を置いてきたのは、ホームページの内容の充実、更新と管理です。会報も年間3回定期的に発行されています。また、メールアドレスの登録の推進を図っており、会員の82%が登録しています。Facebookに関しては、中村正彦前委員長に引き続き管理をお願いしています。
 
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 会報の内容と配信の予定です。
 私の理事長挨拶も昨年掲載して頂きましたが、今後理事・評議員、会員からの投稿や、関係学会の情報がタイムリーに掲載されます。また、8月の夏号に掲載されていた、矢野理事の研究室や本原幹事長の研究の記事のように、今後、会員の研究室や研究を紹介していきます。
 
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 最後に長期計画委員会です。委員長は小路副理事長、副委員長 北岡 隆教授、幹事は柴田恭明講師です。
 学会創立当初より編成された委員会で、その任務は長期計画を策定し、その実質審議を関連する他の常置委員会に付託することです。
 
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 実際の活動として、会員全員に学会の活性化に向けたアンケートを実施し、若手会員の減少への危惧から特に学術集会のシンポジウムの有り方や他学会との連携を促進し、国際化および機関誌3M誌の積極的な活用を強く提言してきました。さらに最近では、学術集会での企業の研究者と連携したシンポジウムの開催、研究活動の様々な問題を共有するための 「Help me corner」の設置、学会内外を問わぬ新評議員の就任等を推し進めています。
 
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 日本臨床分子形態学会は、理事会に設置されている6つの委員会のそれぞれが独立して幹事長・幹事と伴に運営しつつ、学会として衆議一決する体制が整っています。
本学会の会員数が5百名となった現在、専門医制度にもガイドライン作成にも関わらないこの学会は、多岐亡羊の感のある現代において、基本理念である「基礎と臨床を両輪とした医学の発展に寄与すること」を愚直に堅持し、今もなお医学の起点となる「形態学」の一文字をキーワードとすることこそが次の半世紀に約束された展望です。
 医師であり明治・大正期の政治家であった後藤新平が、「金を残して死ぬ者は下、仕事を残して死ぬ者は中、人を残して死ぬ者は上」の言葉を残しています。次世代の本学会を託す若い世代の研究者が自ずと集い育っていくことこそ本学会の方向性です。
 私たちのこの日々の地道な活動の中で、「君子三楽」を目指し、次世代への確実なバトンタッチを実現させることが最大の責務と考えます。
 
スライド 40
 僭越ながら、私の履歴と本学会での歩みです。
 卒後3年目、病理学教室で基礎研究として形態学の緒に就いた対象は、奇しくも本学会の礎となった「産婦人科電子顕微鏡同好会」が主に対象としていた胎盤でした。米国留学では、自分の病理組織診断の向上を目指して病理学教室に在籍し、同時に分子病理学を学ぶ機会にも恵まれました。私が研究を続ける中で、全国学会での最初の発表は、名古屋市で渡 仲三教授が1985年に開催された第17回日本臨床電子顕微鏡学会総会・学術集会でした。そして、好運にも、この学会の奨励賞、論文賞、そして安澄記念賞を授与される栄誉に浴し、私の医師としての人生は、本学会と共にあったと申しても過言ではありません。
 
スライド 41
 形態学は絵画や造形の世界に通じる「アート」の要素を持ち合わせ、観察する者によって見え方や感じ方が変わり、表現型としてのかたちという普遍性がある一方で主観的との評価を下されることもあります。しかし、「アート」の心はみえるかたちの常識を越え、分子の世界に示唆を与え、
新たな「サイエンス」を生み出します。
 形態学を基本として、日々の臨床、研究、そして教育を行ってきたこの38年間に矜恃をもって、形態学は素晴らしいと断言致します。
 
スライド 42
 最後のスライドです。
 初春の令月にして 氣淑く 風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す
 久留米から約20分のところにある坂本八幡神社と太宰府都府楼跡を、先月、医局旅行で訪ねた時の写真です。
形態学に再結集した令き和やかな次の半世紀を願って、私の講演を終わらせて頂きます。 
 長時間にわたりご清聴頂き、有り難うございました。

<理事長講演スライド>
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